三度の飯より百合が好き。
桜Trickを愛するひめたそん@himetasonです。
今回は生き方について書いていこうと思います。

非常識な生活でも死ぬことはないです。好きに生きるススメ

何かを目指し頑張る人は見ていてテンションが上がります。
人間生き方は人それぞれで、目標もまた人それぞれ。
各々好きな事をしたら良いし好きに生きれば良いと思っています。

しかし世の中は「否定」で溢れ過ぎていると思うのですよ。

一般的な常識と個人の常識では話が違います。
自分の生き方は自分で選ぶ権利があります。
そんな話をしていきたいと思います。

好きにいきたい人の励みになれば幸いです。

自分の意思で生きていると言えるのでしょうか

犯罪は除いて生き方なんて十人十色なわけですが、万人に「それ」を認められるわけではないです。
考え方なんてみんな違うのですから当たり前の話ですね。

しかしその認めてもらえない自分が嫌になっている人はかなり多いと思うんですよ。
他人と歩幅を合わせようと自分に背いて生きてる人ってきっと本来の生き方を見失ってる気がするんです。
そしてそういう生き方を強要される社会でもあるのが現実。

衣食住を保つため、生活のために必要なことはあれど必要以上のことや時に必要ではない事まで強いられている世の中です。
そんな社会で自分の意思や願望を貫く事は確かに容易ではないかもしれませんが、そもそも認めてもらう必要は無いんじゃないかというのが答えだと思うのですよ。

好きなこと、やりたいことは否定され続ける現実

自分の人生を改めて振り返り改めて疑問に思う体験談を書きます。
まぁ僕の場合は否定されて当然な人としてボロクソ駄目な部分を一般人の100倍くらい持ち合わせているんですけどね。

しかし僕の勝手でしょ?ってな事もまた多大にあるわけですよ。
例えば趣味や夢なんて個人の自由で誰でも描いて良い事なはずです。
幼少期に漫画家を目指すといって親戚に大否定され(当時小学3年生)、本気で音楽をやっていた頃なんて友人や知人には否定しかされなかったです。

今現在もブロガー→「意味不明、先が無い」。
在宅ワークやフリーランス→「非効率、保証がない、先が無い」。
好きでやってるんだからほっとけ!という感じです。

かと言って理解されたいというわけでもないんですよ。
それこそ個人の常識は十人十色なので正解は各々にあると思っています。
しかし自分の常識を相手にも強要するのは違うと断言します。

それこそ嘔吐恐怖や不安障害、パニック障害持ちの人生に理解なんてされる事は少なく否定されっぱなしです。
くだらない話ですが僕は電気シェーバーで髭を剃ると剃刀負けするのですが、そんな事まで否定される始末です。
結論、人それぞれで済む話じゃないですかね。

相手のことを理解出来ないと気に入らない人が多いです

つまり自分が体験、体感した事以外認めないって人が多いって事です。
それ故に放って置けなくて否定するんですよね。

例えば自分は風邪をひかないから風邪をよくひく人を否定するとか、逆も然りでよく風邪をひく人がひかない人を否定する事もあります。
どっちが悪いなんてなくてどっちも良くも悪くも個性なんですよ。

相手を正すと言う行為自体を履き違えているんです。
打たれ弱い人は特に否定されたら自分がおかしいと思ってしまいますから生き辛くなる。
それって超勿体無い人生になってしまいますよ。

一般常識と個人の常識は明確に違います

一般常識は人に迷惑をかけない、犯罪を犯さない、交通違反をしないなどなど。
それこそ法律に従う必要はありますが、他人の定義する常識に合わせる必要はないんです。
そんなのは好きな人の心を惹きたい時だけで良いと思いますよ。

一般的な道から逃げる事も大事でして、そもそも多少なら道を外れても良いんじゃないかと思います。
他人に、そして社会に合わせ過ぎるって事は行き着く先の選択肢を大幅に狭めてるんです。

自分の願望、野望を目指すためにはもちろん苦労します。
でもそれは苦ではないはずです。
しかし他人に合わせる努力ばかりしていては自分を消耗させるだけ。

もっと自分の中の常識を尊重してあげても良いですよ。
それは自分しか理解してあげられないですからね。

道を外れたって生きていけるし一人にはならないです

多少常識から外れたって人は生きていけるんです。
何より一般常識からも外れかけている僕ですら今生きていますから。

そんなことしたら一人になるのが怖いと思うのかもしれません。
しかし意外とそうでもないんですよ。

その先には本当に求めている生き方や志ざしの同士が待っています。
無理に他人の常識に合わせた生き方をするよりはそんな仲間に遭遇できる確率は高まりますよ。
一度きりの人生なら気の合わない仲間より気の合う仲間、自分の中の理想の人生を歩んだほうが後悔しないし何よりも健康的で建設的な生き方です。

結論、好きを志す人を咎める権利は誰にもありません

ということで生き方についての話でした。

好きな事をしながら生きていくのは金銭的にも精神的にも楽ではないのは確かです。
もちろん万人とっての普通に生きるという事に満足ならそれも非常に良い事だと思います。

しかし自分の個性や願望を我慢したり否定する必要はありません。
夢を抱く人がいなければそもそもテレビに出ている芸能人やアーティストは生まれないってことを覚えておいてください。
挑戦する人間は否定されることは多けれど輝いているのは間違いないです。

そして失敗して挫折するのもまた人生であり勉強であると思います。
全て含めて後悔しない、満足できる人生であることが大事なんですね。
一度改めて考えてみてください。自分の在り方を。

それでは今回はこの辺で。
ではまた!

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