どうもひめたそん@himetasonです。
普段は丁寧な言葉を使っているのですがここでは崩れていてすいません。

自由という今に縛られるのは本当に楽なのだろうか

いつも僕は好きに生きたらいいじゃないと言う。
人それぞれにその先を選ぶ権利があるからだ。
何かをさせられて生きていくのは本当に楽しいのか。
長い人生、選択肢の幅を広げてもバチは当たらない。
そんな思いで生き方を模索している。
しかし楽と幸せは果たしてイコールなのだろうか。

自分を雇っているような感覚

自由に活動している。
そうは言っても好きな時間に好きなことを楽しんでいるのか。

答えはNOである

今できることを活動時間内にぎっちり詰め込み、作業に専念。
雇われている時より確実に息抜きの時間を失った。
睡眠時間も減っている。

自分で自分を過剰労働させていることに気づいた

消耗しない人生を。
とは言ったものの擦り切れるくらい消耗している。

ストイックになりすぎる癖

働く理由はたくさんあるが、一番は生きるため。
生活の維持が一番心の負担を減らせるのも事実。
そんな仕組みが身体の中に備わっている。

人に生かされるのではなく自ら生きていくという意思で

そのバランスが崩れたり外からの負担が大きくなると機能が狂うのだろう。
そして不満や不安、病気になる。
それでも過度に頑張ってしまうのは結局、責任や常識を頭の奥底に忍ばせているから。
その結果、好きに生きようとしても身体を酷使してしまう。

必ずしも自由が幸せとは限らない

僕は自由ってすごく広い世界に思う。
もう海よりも広いかもしれない。
そんな所に1人飛び込めば、迷子になってしまう。
迷うし怖いし進む先が不明確になる。

最初はしっかり見えているのだ。
ただ広さゆえに道を外すだけ。
自分しか頼れるものがないのなら、軌道修正に時間がかかる。
結果今の僕のように自分を縛って道を明確にしようとする。
それじゃ過剰に身体を使うのも無理はない。

自由の中で自分の糧を作っていくのは労働倍以上で苦行なのかもしれない。

拘束されることが楽な人もいる

個人的に思うのが人に雇われ縛られ、使われる方がむしろ楽なのではないか。
また別のストレスを多大に抱えることにはなるが、面倒を見てくれる存在は大きい。
そもそも僕は病気に縛られるのが大嫌いだけど、雇われ使われるのはそんなに嫌いじゃない。
確かに雇われている時に感じた不満は底知れないが、そこにはある程度の安心感があったのも事実。

そして圧倒的に今より作業量が少なく趣味を嗜む時間もあった。
今は趣味なんて何処へやらだ。

ただどっちが幸せかと問われると、必死になっている今である

それでも僕は自分のために自由を歩む

バランスを取るのが難しく、消耗していても満足はしている。
最大の敵は病気であり、今はその敵と相性の良い生き方。
好きに自由にという精神でも形は作っていけると確信できたのも強い。

それならやっぱり突き進んだ方が面白い。
楽じゃないけど楽しいのは間違いない。
結果が出るたびに自信に繋がるし道が広がる。

つまり僕は楽を求めているんじゃなくて好きなことで苦労する幸せを求めているのだ。

まとめ

今現在は文章を執筆することに可能性を見出した所。
そのせいで尚更、過剰に頑張ってしまっている。

自分に歩幅を多少でも合わせてやることを覚えてやらないといけない。
日本人は割と頑張り屋さんすぎるんだな。

ただ世の中意外と不可能より可能の方が多いことに気づいてきた。
自分なんて・・・って思うくらいならやっぱり好きなことを実行に移した方が良い。
失敗するにしろ成功するにしろやらなければ始まらない。

僕は引き続き自由に生きる人を応援します

ではまた!

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