今日は扇風機を止められそうにない。
熱帯夜に備えてしっかり水分を採ろう。
暑さに苦しむひめたそん@himetasonです。
逃げたい時は逃げてしまう勇気
嫌な事を後回しにする。
それは悪循環を生みいつまでも解決出来ない。
しかし悩みすぎて消耗するのは。
如何なものかと思う。
病気やストレスと日常
僕はいつものように吐き気と発作に悩まされている。
外せない用事がある時はもちろん自分がしたい事をする時にまで、僕の都合関係無しに襲ってくる。
しかし悩んでいるのは僕のように身体に表れる人だけではなく日常生活のストレスや焦り、世間の圧迫感はみんな受けている事。
病は気から。
精神病に至らなくても色んな辛い思いをそれぞれに抱えていると思う。
頑張る事を強要される社会
それは仕事だけではなく生きる事そのものに言える事だと思う。
会社の為に家族の為に自分の為に、頑張る事はもちろん大事ではある。
だが限度を超えた頑張りは自分、そして周囲の人達の幸せに必ず繋がるものではない。
消費し続ければそれだけ人はすり減ってしまうからだ。
しかしすり減る人を求める他人がいるのも事実。
強要され自分の域を超えた頑張りをする人達が今増え続けているように思う。
責任と常識
意識が高いのは端から見るとかっこいい事もあるが、やらなければいけない事をやるのは当たり前の事。
常識
一度引き受けた事はやり遂げなければならない事。
責任
ガサツ過ぎるのはもちろんいかんが、全て抱え込んでしまうのはそれは負担が大きすぎる。
人の容量を超え一度心が壊れてしまえば、切った指の傷とは比べられない程にリカバリーが難しい。
その先で崩れてしまう自分や身内の存在があったら、それこそ本当に幸せなのか分からなくなってしまう。
人間一人の力はそんなに大きくない。
自分の許容量以上の重みを背負うのは無理というものである。
いっそ逃げるという選択肢
許容され続け責任を背負いすぎて一心不乱に生きている時程、自分に盲目である。
そのせいで行き過ぎてしまうのだ。
人としてやらなきゃいけない事、常識的にやらなきゃいけない事。
そんな事から逃げる勇気も1つの成長ではなかろうか。
逃げられないものから逃げるのも非常に難しい事だ。
難しいからこそ、そこに意味がある。
全てを放棄するのではなくまず1つの責任やるべき事、常識から「1度逃げる」という選択肢は間違っていないと思う。
敷かれたレールから逸れた時に新しい発見があるのだ。
きっと当たり前と思い込んでいて実際はもっと柔軟に歩ける道が沢山ある。
世間に批判されても自分の正解は自分で選ぶ権利がある。
その為にも逃げる事に挑戦してみよう。
きっと新しい道が見つかるはずだ。
まとめ
行き詰まった生活が渦巻く今、みんながそれに従っていくのは人生の消耗が激しい。
頑張るという行為にも、
自分の目標の為に頑張る。
人に強要される常識の為に頑張る。
とでは全然違う。
前者は有意義だが、後者はもしかしたら自分に傷しか生まない。
生きる為にやらなければいけない事、常識の為にやらされている事。
一度逃げて別の道を見てみる事は心にも身体にも、そして後の人生に大きな意味を持つと思う。
という真面目な話。
ではまた!