単身東京に3ヶ月間行ったひめたそん@himetasonです。
自分の病気に向き合う事を決めたきっかけにもなった東京。
東京で感じた生きづらさ
僕は地方民である。
それでも車の運転中に起きる発作の怖さや、歩いてる最中の動悸や吐き気に恐怖してはいたのだが、気合いで何とかなると放置していたわけだ。
それが少しの間、東京に住んで変わった気持ち。
自分はこのままじゃいけないと気づかされた事を今回は書いていこう。
圧倒的人口
もうそのまま。
どこに行っても人が多い。
逃げ場が無い。
地元にいる時の何倍発作が起きただろうか。
最初の方は楽しさもあるし少しは我慢出来たのだが、東京の人は通勤通学時こんなに沢山の人に揉まれているのか。
地方住みの僕には衝撃的で自分には無理だと実感した。
公共交通機関
メインの移動手段は公共交通機関。
電車、地下鉄、バス。
そもそもパニック、不安障害持ちの人が一番嫌う移動方法だ。
僕が闘病を決心した理由のうちの1つ。
中央線で新宿に向かう際に吐き気と発作が起きて耐えていたのだが、限界を迎え倒れた。
恥ずかしいし辛いしで帰りはタクシーに頼ってしまった。
また、その公共交通機関。
地元の電車はトイレがついていて何かあったらそこに駆け込む事が出来るのだが、東京の電車には無い。
トイレが無いと電車に乗っても5分も持たない。
一度三鷹から総武線で帰る時、1駅ずつ降りて休み休み帰って来た事もあった。
最終的に移動は自転車を活用し始めたくらいだ。
結果、闘病を決意
普段の何倍も不安症状、パニック症状を体感し吐き気の弊害で胃炎になり、僕の地元はなんてぬるい地域なのだと感じつつも自分は正常ではないなと実感したわけだ。
もし東京に永住する事になった場合、仕事どころか通院もままならないだろう。
それほどに東京には過酷な現実が沢山あった。
一度東京の友達と食事に行ったのだが、東京の仕事事情も耳にした。
まずは満員電車での戦争。
その時点で僕には無理だが職場での拘束、残業も中々過酷な話だった。
通勤での修羅場に職場での修羅場。
なんて大変なのだ。
でも日本の中心は東京。
そこで生活していく力は、たとえそこに住まないとしても必ず必要な事だと思った。
まとめ
3ヶ月という短い期間だが東京にて旅をした事によりパニック、不安障害持ちの人が苦労しているという現状を身を持って痛感したわけだ。
そのおかげで治す方向に気持ちがシフトしてくれたのは良い事なのだが、今考えても東京は大変な場所だと思う。