パソコンから発する熱。
その熱が部屋の温度を上昇させ、ただでさえ暑いのに余計に暑い。
暖房のようなMacを抱えるひめたそん@himetasonです。

不自由な時こそやりたい事をやる

最近ふと昔を思い出した。
音楽をやっている頃の話である。

音楽に夢を持っていた時代

音楽で夢と言えば武道館に立ちたいとか音楽で飯を食っていくとか、そんな夢を思い出す。
僕は幼い頃から音楽、主にギターをやっていたのだがそこまで大きな夢ではないものの、好きなギターでお金を稼げればそれは楽しい人生だろうなと夢を描いていたものだ。

しかし、まわりからの意見は甘くない。
夢見てるんじゃないとか将来性が無いとか、なんだか沢山言われた。
まぁ確かに一般的に考えたら「普通の人間が夢見るな」みたいなそんな感じなのだろう。
しかし僕は好きな事を共感されなくても好きだからと続けるタイプの人間。
結局の所、音楽は努力の成果もありお金を払って行う活動からお金を頂いて行う活動になり大きな稼ぎとはいかなくとも収益にはなったのである。
ギター弾いてお金を貰いそのお金で食べたご飯は今でも覚えている。
非常に感動したものだ。

その後はと言うと僕は満足してしまった。
それより上の高見まで望まなかったのだ。
音楽に関しては現在趣味に留まっている。

僕にとっての好きな事への壁

好きな事をするというのは世間からの壁が厚いかもしれないが、僕の場合は何度も書いているパニックや不安、吐き気である。

音楽をやっている時、好きな事をやっている時でも関わらずやってくる。
ステージに上がる前に何度トイレへ駆け込んだか。
緊張しているわけでもないのにステージ上でもそれは起き、ごまかしたり耐えるのが大変だった。
楽しいながらも辛い。
ステージの上は特殊な場所で逃げ場なんて無いに等しい。
そして目の前には大量の人。
今考えると良く頑張っていたなと自分の事ながら思う。

今、これから

そんな壁に対して歳を追うごとに、立ち向かう事を忘れたり保守的になってしまう。
僕はなっていたと思う。

最近やってきた虚無感を経てふと先ほどの音楽の事を考えた。
30を越えて悪化し不自由さが増した今、むしろ好きな事をやろうじゃないかと。
出来る事をやろうと思ったわけだ。
中途半端ではなく本腰を入れて。
将来は待つだけじゃなく作るものである。
そして1度きりである。
目的も無く過ごすのはあまりにもったいないではないか。
出来る限りの事をやって努力するのも悪くない。

そう最近思うようになってきた。
今の時代だからこそ出来る事の幅は昔より相当広い。
世間の常識、自分の常識に捕われるには非常にもったいない時代なのである。

まとめ

悲観、否定、常識。
日本は特に渦巻いていると思う。
働かないのは如何なものかと思うが働き過ぎもまた如何なものか。
暮らし、将来の事を方向を変えて考え、満足と心の健康のために好きな事をやるというのは、悪い事ではないと僕は思う。

↑いっそ逃げてみる話。

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